2018年03月13日(火)
郷亜里砂選手の表敬訪問が行われました [生涯学習課からのお知らせ]
2月に開催された平昌オリンピック女子スピードスケート500Mで見事8位入賞、1000Mでも13位と素晴らしい成績を収めた、西春別駅前出身の郷亜里砂選手が3月6日に帰町されました。
翌7日には、別海町役場を訪れ、職員の出迎えを受けながら町長・副町長・教育長への表敬訪問が行われました。
町長・副町長・教育長からは郷選手へ労いの言葉がかけられ、郷選手からは「オリンピックの舞台で全力で滑りきることができた。これからは別海町に恩返ししていきたい。」と言葉がありました。
Posted by syougai at 17時10分
2018年03月01日(木)
別海町歴史文化遺産「旧国鉄標津線床丹3の川鉄橋米軍空襲跡」 [生涯学習課からのお知らせ]
別海町歴史文化遺産
第11号 旧国鉄標津線床丹3の川鉄橋米軍空襲跡
(別海町別海18番41先)
本遺産は、1945(昭和20)年に米軍戦闘機が国鉄西別駅―春別駅間を走行していた機関車を機銃掃射した際、鉄橋に残った銃弾痕です。
全道各地に甚大な被害をもたらした1945年7月14、15日の米軍による北海道空襲では、当時の別海村もその攻撃対象となりました。
7月14日早朝、西別駅と春別駅間にある床丹3の川鉄橋付近を走行中の機関車が、空母ハンコックからの米軍戦闘爆撃機コルセア2機から機銃掃射を受け、機関士1名が亡くなりました。攻撃を受けたのは、時刻表上では午前6時28分に春別駅を出発した始発列車でした。当時の乗客の証言によれば、当日は東の空に雲がかかってり、米軍機の爆音も機関車の音で聞こえない状況でした。走行中の機関車は、突如東の空から急降下してきた戦闘機から機銃攻撃を受け、床丹3の川鉄橋上に停止しました。乗客は少なく、降車して逃げる際にも混乱も少なかったといいます。床丹3の川鉄橋には、現在もこの時の弾痕が複数残っています。
米軍による別海村への空襲が残した歴史的痕跡であり、本町における戦争の記憶を後世に語り継ぐ上で重要な遺構です。
参考文献
1 境智洋・山内斉・山内崇「標津線を走る列車はいつ・どこで・どのように襲撃されたのか―別海・標津線空襲を検証する」『釧路論集北海道教育大学釧路校研究紀要』48号(2016年)、1-8頁。
2 米軍により作成された戦闘行動調書:米国国立公文書館蔵 Record Group 38, 370/44/25/7: Box 342(田中まこと氏提供)
3 米軍により撮影された機関車銃撃現場写真:米国国立公文書館蔵 Record Group 38, 370/44/25/7: Box 342(田中まこと氏提供)
Posted by syougai at 09時16分
2018年01月29日(月)
別海町選手団全国中体連スケート大会出場 [生涯学習課からのお知らせ]
2月3日(土)〜6日(火)に長野県長野市で行われる「平成29年度全国中学校体育大会第38回全国中学校スケート大会」に出場する別海町選手団8名(別海中央中3名、上春別中4名、上西春別中1名、※1名欠席)が、副町長と教育長を表敬訪問しました。
選手を代表して、各中学校代表1名が大会への意気込みが語られました。
副町長と教育長からも、2月に開催される平昌オリンピックに出場する本町出身の郷亜里砂選手に触れながら、選手に対して激励の言葉がありました。
Posted by syougai at 11時15分
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