2013年08月15日(木)
【中春別中学校】原爆ドームが残った訳 [別海町少年少女ふれあいの翼]
*68回目の終戦記念日を迎えました。今回、生徒たちは「別海町ふれあいの翼」の貴重な研修体験をすることができました。その研修で、広島被爆体験の語り部の山本定雄さんの講話内容の一部です。(一部、資料からも)
〜原爆ドームはなぜ残ったのか?〜
原爆ドームは、1915年に広島県物産陳列館としてチェコ人の建築家の設計により建設された。1921年には、全日本菓子飴展の会場や美術品も展示されるなど広島の文化の拠点として貢献していた。
1945年8月6日原子爆弾が投下され、ドームの上空600mで炸裂。約3000度、秒速440mの爆風で半径2km以内の建物が全滅をしました。
しかし、3階建ての本体部分は全壊したのに中央のドーム部分だけが残りました。その理由として、
1、衝撃波を受けたのがほぼ真上からだった。レンガ構造は 横の力には弱いが上からの力には強い構造。
2、窓が多くあり、爆風が吹き抜けることができた。
3、ドームの屋根の部分が本体の鉄と違い銅版で造られてい たため鉄に比べ融点が低く爆風が通過したため。
この3点が挙げられるそうである。当時、この建物中で働いていた内務省の約30人は、全員即死だったそうである。
ご冥福をお祈りいたします。
ふれあいの翼 団長 富山浩司(中春別中学校長)
Posted by 中春別中学校 at 22時59分